陸上自衛隊の垂直離着陸輸送機V22オスプレイが6日、暫定配備されている千葉県木更津市の木更津駐屯地で初の試験飛行を行い、駐屯地内で離着陸やホバリングなど基本的な動作を確認した。天候などに問題がなければ10日に、東京湾南部と相模湾の上空で本格的な試験飛行をする予定。
オスプレイは午前10時半、エンジンを始動。ヘリコプターモードで両翼のプロペラが大きな音を立てる中、格納庫前から滑走路まで約800メートル移動した。同45分ごろ、プロペラを上空に向けたまま高さ約17メートルまでゆっくり上昇し、10分間ホバリング。油圧や振動などに異常がないことを確認し、着陸した。
離着陸やホバリングの様子が公開された陸上自衛隊の輸送機オスプレイの飛行訓練=6日午前10時51分、千葉県木更津市で
オスプレイを運用する輸送航空隊長の不破悟1等陸佐は「機長から振動も少なく良い機体と報告を受けた。安全確保に万全を期し、着実に能力向上を図りたい」と総括した。
防衛省は、陸自にオスプレイ17機を導入する方針で、相浦駐屯地(長崎県佐世保市)を拠点とする離島防衛専門部隊の水陸機動団の輸送が主な任務となる。本来の配備先は佐賀空港(佐賀市)だが、地元漁協との調整が難航。木更津市と2025年7月までの5年間、暫定配備することで合意し、7月に2機が木更津駐屯地に到着した。(山田雄一郎)
◆亡き父が米軍に勤務、騒音に悩み続ける駐屯地近くの主婦
木更津駐屯地の東約1キロの場所に住む主婦(77)は、陸自オスプレイの試験飛行開始を複雑な感情で受け止める。基地は亡き父の仕事場で、生活を支えてもらったとの思いがある一方、約70年間、航空機の騒音に悩まされ続けてきた。「すぐそこには小学校もあるのに」。さらなる騒音悪化や、墜落の危険性が脳裏をよぎる。
女性は東京生まれ。疎開先の仙台で敗戦を迎えた後、木更津市の現在の自宅に移り住んだ。インドネシアのスマトラ島から引き揚げてきた父は、米軍が接収した現在の木更津駐屯地で働き始めたが、父がなぜ米軍で働けたのか、理由は定かでない。英語の通訳ができたからかもしれない。
敗戦後に米軍が接収した、現在の陸自木更津駐屯地で働いていた父の遺影を手にする女性。小さいころから航空機の騒音に悩まされてきた
父から仕事内容を詳しく聞くことはなかったが、大型トレーラーで東京・立川方面に軍需物資を運んでいたらしい。基地で安定的な収入を得られたからこそ、家族は敗戦直後の混乱期を乗り越えることができた。
一方で、当時から悩ましかったのは離着陸を繰り返す航空機の騒音だ。敗戦直後に田園地帯だった駐屯地周辺は民家が増え、騒音を不快に思う住民は何人もいる。だが、基地で働く人も多く、大きな抗議運動になることはなかった。
オスプレイの配備により、騒音の悪化が懸念される。「今だって朝から晩まで、日曜だってヘリコプターが飛んでいる」と危惧する。
市は基地周辺地区で計15回の住民説明会を開いたが、女性が住む地区は対象外だった。「うちには何の呼び掛けもなく、回覧板も回ってこなかった。(騒音が)うるさくてしょうがないのに」と不信感が募る。
「基地の中で何が行われているか、いつも報道で知るばかり。何か隠しているのではと勘繰ってしまう。暫定配備が5年と言われても信じる気になれない」(山田雄一郎)