道義的にも、法的にも許されない

「障害者」ということが「差別」と言うことを健常者の方々はご存知でしょうか?物事を進めるためには仕方がありませんが、特に知的な面で劣っている人の場合は、自分の障害があることも理解できないのです。その上「障害」の意味さえも分からないのです。健常者は自分の都合で「障害者」と言う言い回しで都合よく差別をしているのです。健常者の○○さんと言われてどう思われますか?習志野市は、障害者も雇用できない器の小さな小心者のような市政に見えます。今回の件は決して道義的にも、法的にも許されるものではありません。政治は、一番立場の弱いものに先ずは手を差し出してこそ次の段階を踏むべきです。障害者に対しての法を100%遵守出来ないことは完全な詐害行為であり、絶対に過失と認めることは出来ません。社会は弱者を含めてこそあるべき姿になり、強者は常に弱者に手を差し伸べる義務を痛感すべき立場にあるのです。

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