千葉県連絡会通信 2006/2月号

県連絡会通信 web版 (2006年2月号より)

ついに習志野からもイククヘ  イラク反戦市民と議員の会などと抗議

 1月下旬、東部方面隊のイラク出兵が始まりました。習志野駐屯地からはあの空挺団が護衛を任務として派遣されました。今やイラクの自衛隊は自分たちの基地を守っているだけともいわれますが、撤退が近いとかえって危険性は高まっているそうです。そこに、空挺団派遣の理由もありそうです。隊員に犠牲が出ないように、隊員がイラクの民衆に銃口を向けることのないように駐屯地前や成田空港近くで出兵阻止を訴えました。一方、再開された通常国会は、メディアの関心も、BSE、偽装建築、ライブドアで、小泉の責任を取りあげているばかりです。イラクや沖縄、共謀罪や教育基本法、憲法改正国民投票法案などの重要問題はほとんど報じられていません。世論をそらす危険な誘導になっていないでしょうか。

全国代表者会議、「改憲阻止」大署名を提案

 以上の情勢のなかで「百万人署名」事務局は、22日、全国の呼びかけ人と組織代表者の会議を開き改憲阻止の大署名に立ち上がる案を提起し、全国での論議を求めました。基本方針は以下の通りです。
 1)9条改憲反対を軸にした署名用紙とする。
 2)300万筆を目標とする。
 3)賛同を5000人に拡大し、全県に連絡会を結成する。
 全国事務局からの「提案」を皆さんに送ります。意見を、お手紙やメールその他でお寄せ下さい。
 全国の意見とぶつかり合わせ、再度議論を重ねてゆくことになります。

 先月の財政確立の呼びかけに、多くの皆さんが応えて下さいました。ほんと有り難うございました。
 しかし、全国財政は依然危機状態を脱しておらず、千葉県も昨年の賛同会員の大幅な削減(一22)をのりこえなければなりません。事務局として、全協力者(団体)の方に呼びかけを始めています。そのためには経費も必要です。すべての皆さんに更新をお願い致します。また、賛同拡大にご協力下さい。年賀状を見直し、私たちの運動に応えてくれそうな人を見つけてください。

インフォメーション 2月   ~省略~

《活動報告》
☆街宣署名    ~省略~

☆ 1・22 STOP!共謀罪 in CH1BA

 改憲阻止の運動をつぶす先制攻撃として、共謀罪という新しい「罪」が作られようとしています。本格化する改憲(=新憲法制定)攻撃を前に、タイムリーな、まさに今求められている学習講演会でした。
 集会の第1部は「05年反戦運動と自衛隊」(TV番組から)と「動労千葉訪韓報告」のビデオ止映と参加者の一人Kさん(動労千葉小岩支部)の報告のお話。訪韓団は、労働法改悪と闘う民主労総の昨秋ソウルの大集会と、グローバリゼーションを推進する環太平洋首脳会談へのプサンでの激しい抗議行動に、国際連帯を掲げ共に闘う立場で訪れた田中委員長以下の動労千葉などの一行。韓国の労働者集会の圧倒的規模と多彩なパフォーマンスは、日本では見られない感動的なものであった。Kさんも自分の感動全部を伝えるには時間が足りなく、残念そうであった。

 続いて小田原紀雄さんが、「越境的組織犯罪の防止」条約批准に向けた国内法の整備ということで持ち出された「共謀罪」について、その世界的背景、国内法としての性格変容、危険性などを、軽妙な冗談を交えながら解説してくださった。刑法の根底概念を覆す実行(既遂・未遂)に関係なく共謀だけで処罰できる、とんでもない法律であり、さらにそれは密告をあおり、スパイ捜査をはびこらせる、まさに「改憲」につなげる「警察国家」のための、とんでもない治安・弾圧法だと批判された。そしてこれに抗する道は、大衆運動の高揚で「無意味化」する以外にない。共謀罪の本質をズバリ暴露されとても勉強になりました。
 

「沖縄戦そして父と故平良那覇市長のこと」

 K.S. 連載(4)終了
 父はガマとよばれる壕の中で・軍属・民問の人々を集め、「俺はこの戦いで死ぬ。しかし、お前たちは出来る限り生きてくれ」といったそうです。それを聞いた職員は、「軍人のくせに何を言うのか、一緒に死んでくれとなぜ言わないのか」と内心大いに不満だったと、そう聞いて私は本当に嬉しかった。「さすがだね、お父ちゃん」と喝采したほどでした。軍人がガマから民間人を追い出したり、自決を強要したりしたという話しを聞いていたからだった。!
平良さんは、上京の度にわが家により、仏前に線番をあげ、沖縄の友人、知人を呼んで四方山話を!
するのが常で、ある時、にこやかな顔で私に向き直り、「Kちやん、おじさんの座右の銘はねエ、憲法九条なんだよ」。私は、人生訓か諺を言うのかと思っていたのでビックリし、瞬時顔を見つめでていました。しばらくして、やはりこのおじさんは「戦のない平和な沖縄」を基本において政治をやってきたからこそ「憲法九条」が座右の銘なんだと悟りました。私は平良さんを思い出すたびに、この夜のおじさんのおだやかな顔が浮かんできます。
 最後に、千葉訴審「小泉首相靖国参拝違憲訴訟」での意見陳述に引用されている、梅原猛さんの痛烈な批判を紹介します。「小泉首相が戦争を二度と起こしてはならないという気持ちで、あの無謀な戦争を始めた東条英機首相が祀られている靖国神社を参拝するのはまったく論理矛盾である。参拝するなら『もう一度米英と戦います』といって参拝するのが、論理的に一貫性を持つ行為であろう…」 (2005.2.1 朝日新聞 「反時代秘話」から)

千葉県連絡会通信 2006/1月号

県連絡会通信 web版 (2006年1月号より)

06年 賀春

憲法・教基法攻防の正念場 改悪阻止の決意をこめて!!

 沖縄・横須賀・座間,憲法改悪と一体の米軍トランスフォーメーションにも反対しよう!!

賛同会費納入のお願い
 年初めからいきなりですが,賛同の年更新と会費納入のお願いです。
 この06年1月~4月に賛同期限の切れる方・団体に「更新のお願い」と「振込用紙」を同封しました。
 また昨年末までに期限が切れてまだ更新できていない方にも「振込用紙」を同封しています。(事務の都合上,4月末に期限が切れる方も1月末で切れる形にさせてもらっていますのでご了承下さい。)
 千葉県連絡会の財政は今のところ順調ですが,全国事務局は11月の残金が2けたという大ピンチです。皆さんの賛同年会費を県と全国で折半していますが,「全国通信」が出ないことになったら大変です。
 賛同を更新され,なるべく早く,一日でも早く送金して下さい。お願いいたします。

郵便局のATMが便利です。  ATMは土・日,祝日でも利用できますので,お忙しい方にも便利です。画面の「ご送金」を押して,あとは画面の指示通りです。同封の振込用紙が使えます。しかも手数料が10円安いのも魅力です。(ただし手数料は4月から値上げされます。「郵政民営化」絶対反対!)

学習講演会「STOP!共謀罪」in CHIBA

 1月22日(日)14:OO~ DC会館(中央区要町2-8)
 講師:小田原紀雄さん
 小泉政権は「平成の治安維持法」といわれる共謀罪を成立させようと躍起になっています。
 共謀罪とは何か?法制定されると労働運動や平和運動はどうなるのか?これから何をなすべきか?
百万人署名運動事務局次長で,「破防法・組対法に反対する共同行動」の代表として,共謀罪制定阻
止の先頭に立ってこられた小田原さんに語ってもらいます。溝演の開始予定は15時30分です。
 講演からでもふるってご参加下さい。みんなで学習し,阻止に向けて最後まで闘いましょう。

インフォメーション 1月   ~略~

《活動報告》
☆街宣署名    ~省略~

☆ 「つくる会」教科書撤回署名集まってます!

 杉並2教組呼びかけのつくる会教科書採択撤回署名が集まり出しました。12月16日現在,15の個人・団体から143筆が届きました。愛知県の方からも頂きました。ほんとにありがとうございます。
 会員や協力者の皆さんが1筆ずつ送って下さるだけでも000筆になります。それだけの数を街頭で集めるのはとてもたいへんです。皆さんの署名をぜひ送って下さい。力を一つに杉並区教委に圧力をかけ,撤回させよう。

☆12・18習志野駐屯地申し入れ行動

 自衛隊イラク派遣の延長が閣議で決定され,1月以降,習志野など陸自東部方面隊からの派遣がなされるということで,12月18日午後2時半,習志野駐屯地に,「とめよう戦争!隊員家族と元自衛官連絡会」,シビックアクションなど4団体と共に,派遣中止を求める申入行動をおこないました。
 申し入れ後津田沼に移動し,寒風の中,新津田沼駅で元気に街宣。イラクから自衛隊を引き上げさせようと訴えました。そして忘年会。申し入れに加わった元自衛官の小田さん,京葉連絡会代表のNさん(九州で療養生活中)もしばらくぶりで快復された姿を見せられ,若い仲間たちと一緒に交歓しました。

「沖縄戦そして父と故平良那覇市長のこと」

 K.S.  連載(3)

 〔父は転勤となり,Sさん家族もソ満国境へ…〕遊び友達もなく,玩具もなく。ブランコに座ってキリキリするような退屈の日を過ごす毎日だった。父は豪放磊落な人で,兵隊さんを呼んでは酒宴を開くのが好きだった。(母は月給の半分は酒代に消えた,と書っていた。)ある正月,満蒙開拓義勇軍2少年達を招いたことがあった。童顔の残る彼らは嬉しそうに料理をほおばり「いくつになったの」と話しかけてきた。私は片手を広げ数え年5歳と答えた。今に思えば昭和13年の正月であった。
 昭和20年8月9日,この国境の地はソ連軍の進行をまともに受け,あの少年達はどんな運命をたどったのか,想う度に胸が痛む。/その後父は奉天(瀋陽)を経て除隊,母の実家の目黒に落ち着き,(この家は3月10日の大空襲で焼失)友人と会社をつくり,サラリーマンとなり,一時の平和を楽しんだが,昭和16年12月8日の太平洋戦争突入半年前,突然秘の召集令状(他言無用,見送り禁止,「密かに出てこい」)が来た。母子3人はホームへあがれないので,東京駅のホーム下階段で手を振ったのみの別れとなった。
 父の任地は沖縄だった。この時からすでに沖縄決戦を想定して兵員の展開が進められていたのだろうか。後年,一見平和に見える生活の水面下で何が進められているのかわからないという疑問が絶えず私の意識下にあるようになった。/敗戦後,平良さんは戦後捕虜交換要員として南米の収容所から沖縄に戻り,革新の立法議員から那覇市長になり,16年間革新市政を護って活躍した。その問,父の消息を追い続けてくれ,その結果,市の職員の中に戦局終結間際の父の様子を覚えて(いた人が)いて,その人からの話を伝えてくれた。