千葉県連絡会通信 2006/1月号

県連絡会通信 web版 (2006年1月号より)

06年 賀春

憲法・教基法攻防の正念場 改悪阻止の決意をこめて!!

 沖縄・横須賀・座間,憲法改悪と一体の米軍トランスフォーメーションにも反対しよう!!

賛同会費納入のお願い
 年初めからいきなりですが,賛同の年更新と会費納入のお願いです。
 この06年1月~4月に賛同期限の切れる方・団体に「更新のお願い」と「振込用紙」を同封しました。
 また昨年末までに期限が切れてまだ更新できていない方にも「振込用紙」を同封しています。(事務の都合上,4月末に期限が切れる方も1月末で切れる形にさせてもらっていますのでご了承下さい。)
 千葉県連絡会の財政は今のところ順調ですが,全国事務局は11月の残金が2けたという大ピンチです。皆さんの賛同年会費を県と全国で折半していますが,「全国通信」が出ないことになったら大変です。
 賛同を更新され,なるべく早く,一日でも早く送金して下さい。お願いいたします。

郵便局のATMが便利です。  ATMは土・日,祝日でも利用できますので,お忙しい方にも便利です。画面の「ご送金」を押して,あとは画面の指示通りです。同封の振込用紙が使えます。しかも手数料が10円安いのも魅力です。(ただし手数料は4月から値上げされます。「郵政民営化」絶対反対!)

学習講演会「STOP!共謀罪」in CHIBA

 1月22日(日)14:OO~ DC会館(中央区要町2-8)
 講師:小田原紀雄さん
 小泉政権は「平成の治安維持法」といわれる共謀罪を成立させようと躍起になっています。
 共謀罪とは何か?法制定されると労働運動や平和運動はどうなるのか?これから何をなすべきか?
百万人署名運動事務局次長で,「破防法・組対法に反対する共同行動」の代表として,共謀罪制定阻
止の先頭に立ってこられた小田原さんに語ってもらいます。溝演の開始予定は15時30分です。
 講演からでもふるってご参加下さい。みんなで学習し,阻止に向けて最後まで闘いましょう。

インフォメーション 1月   ~略~

《活動報告》
☆街宣署名    ~省略~

☆ 「つくる会」教科書撤回署名集まってます!

 杉並2教組呼びかけのつくる会教科書採択撤回署名が集まり出しました。12月16日現在,15の個人・団体から143筆が届きました。愛知県の方からも頂きました。ほんとにありがとうございます。
 会員や協力者の皆さんが1筆ずつ送って下さるだけでも000筆になります。それだけの数を街頭で集めるのはとてもたいへんです。皆さんの署名をぜひ送って下さい。力を一つに杉並区教委に圧力をかけ,撤回させよう。

☆12・18習志野駐屯地申し入れ行動

 自衛隊イラク派遣の延長が閣議で決定され,1月以降,習志野など陸自東部方面隊からの派遣がなされるということで,12月18日午後2時半,習志野駐屯地に,「とめよう戦争!隊員家族と元自衛官連絡会」,シビックアクションなど4団体と共に,派遣中止を求める申入行動をおこないました。
 申し入れ後津田沼に移動し,寒風の中,新津田沼駅で元気に街宣。イラクから自衛隊を引き上げさせようと訴えました。そして忘年会。申し入れに加わった元自衛官の小田さん,京葉連絡会代表のNさん(九州で療養生活中)もしばらくぶりで快復された姿を見せられ,若い仲間たちと一緒に交歓しました。

「沖縄戦そして父と故平良那覇市長のこと」

 K.S.  連載(3)

 〔父は転勤となり,Sさん家族もソ満国境へ…〕遊び友達もなく,玩具もなく。ブランコに座ってキリキリするような退屈の日を過ごす毎日だった。父は豪放磊落な人で,兵隊さんを呼んでは酒宴を開くのが好きだった。(母は月給の半分は酒代に消えた,と書っていた。)ある正月,満蒙開拓義勇軍2少年達を招いたことがあった。童顔の残る彼らは嬉しそうに料理をほおばり「いくつになったの」と話しかけてきた。私は片手を広げ数え年5歳と答えた。今に思えば昭和13年の正月であった。
 昭和20年8月9日,この国境の地はソ連軍の進行をまともに受け,あの少年達はどんな運命をたどったのか,想う度に胸が痛む。/その後父は奉天(瀋陽)を経て除隊,母の実家の目黒に落ち着き,(この家は3月10日の大空襲で焼失)友人と会社をつくり,サラリーマンとなり,一時の平和を楽しんだが,昭和16年12月8日の太平洋戦争突入半年前,突然秘の召集令状(他言無用,見送り禁止,「密かに出てこい」)が来た。母子3人はホームへあがれないので,東京駅のホーム下階段で手を振ったのみの別れとなった。
 父の任地は沖縄だった。この時からすでに沖縄決戦を想定して兵員の展開が進められていたのだろうか。後年,一見平和に見える生活の水面下で何が進められているのかわからないという疑問が絶えず私の意識下にあるようになった。/敗戦後,平良さんは戦後捕虜交換要員として南米の収容所から沖縄に戻り,革新の立法議員から那覇市長になり,16年間革新市政を護って活躍した。その問,父の消息を追い続けてくれ,その結果,市の職員の中に戦局終結間際の父の様子を覚えて(いた人が)いて,その人からの話を伝えてくれた。

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