防衛費は増額なのに「食の安全保障」は危機的状況  東京新聞

乳をしぼるほど赤字に…防衛費は増額なのに「食の安全保障」は危機的状況 離農急増「もう限界」

2023年3月30日 12時00分
 ロシアのウクライナ侵攻による飼料暴騰、需要減などで生産すればするほど損という状況に追い込まれている酪農家たち。先行きを悲観し全国で廃業が相次ぐ中、緊急の対策を求めて29日、国に電子署名8万人分を提出した。安全保障上の危機を理由にいきなり防衛費を増額させる岸田文雄政権だが、農家らからは「食の安全保障にも危機感を持て」と怒りの声が上がる。(木原育子、宮畑譲)

◆緊急対策求め 国に電子署名8万人分提出

農水省の担当者に酪農家の窮状を訴える農民連の長谷川会長(奥左から2人目)=29日、東京都千代田区の衆議院第2議員会館で

農水省の担当者に酪農家の窮状を訴える農民連の長谷川会長(奥左から2人目)=29日、東京都千代田区の衆議院第2議員会館で

 29日、衆議院第2議員会館(東京都千代田区)の一室。農家や酪農家らでつくる「農民運動全国連合会」(東京)の長谷川敏郎会長が深刻な表情で現れた。「一刻の猶予も許されない」と告げ、「酪農・畜産危機を打開し地域農業を守るための緊急要請」と書かれた文書を、農林水産省牛乳乳製品課の叶拓斗課長補佐らに手渡した。
 農民連が要望したのは5項目だ。酪農家の廃業や倒産を避けるため搾乳牛1頭あたり10万円の支援や、乳価の引き上げ策など。叶課長補佐は、「酪農は特に厳しい状況にあると認識している」と受け取った。
 だが、その後の要請行動は紛糾。前日の28日に農水省は搾乳牛1頭あたり1万円の支給などを決定した。長谷川会長は「10万円必要だと言っているのに、1万円で我慢しろでは続けられない」と訴え、笹渡義夫副会長も「農水省は危機感が足らないというのが率直な感想だ」と続いた。
金谷さんの牧場では毎日朝と晩、30頭に搾乳器を付けて生乳を搾乳しているという=金谷さん提供

金谷さんの牧場では毎日朝と晩、30頭に搾乳器を付けて生乳を搾乳しているという=金谷さん提供

 農民連が懸念するのは、中央酪農会議が今月発表した調査で、離農を検討している酪農家が6割に上ったことだ。会場に訪れた千葉の酪農家金谷雅史さん(39)は「乳牛をしぼればしぼるほど赤字になるからだ」と6割にうなずきながら、「全く希望が持てない」と訴えた。
 金谷さん宅は30頭ほどの牛がいる。朝5時から搾乳し、その後はトラクターに乗ってトウモロコシなどの餌作り。帰宅は午後9時を過ぎる。「働くことに何の意味があるのかと思ってしまう」と話す。
 要請行動でも思いを届けた。「机の上で数字をはじくのではなく、しっかり現場の声を聞いてもらいたい」と金谷さんが訴えると、会場からは「そうだ!」と声が上がった。
 農民連が農水省に手渡した文書には、酪農家からの切実な声も掲載された。「先週廃業した。地獄のように悩み、苦しみながら決断した。家族の一員だった牛たちと死に別れないといけない思いがわかるか」「酪農経営の良さがすべてなくなってしまった」ー
 大規模農場が多い北海道ではさらに切実だ。500頭を育てる士幌町の川口太一さん(59)は「身を削って何とか持ちこたえているが、もう限界。出血を止められないまま輸血している状況だ。命がもたない」と語り、「酪農業界は生産者とメーカー、国の関係がかなりいびつ。3者のパワーバランスを崩さない限り、抜本的改善はなされない」と見通す。

 千葉県睦沢町の中村種良さん(71)は「こんなに厳しい時代はかつてなかった」と語る。「酪農は餌代を含め、経費が他の産業に比べて多くかかるのが特徴。

せめて輸入を止めてくれれば、乳価は高くなり、助かる酪農家は多いだろう。農水省はどっちの味方なのか…」とため息しかなかった。

 声を上げているのは酪農家だけではない。農民連が電子署名活動を実施すると、わずか1カ月で8万1000件超の署名が集まった。事務局次長の満川暁代さん(51)は「1カ月でこんなに集まるとは関心の高さをうかがわせた。結束の輪を広げたい」と語る。

◆ウクライナ危機や円安 配合飼料が値上がり

 酪農家が追い詰められている様子はデータからも読み取れる。
 3月に中央酪農会議が実施した調査では、157人の酪農家のうち85%近くが赤字経営だと答えた。さらに、そのうち4割以上が月に100万円以上赤字だったという。中には1億円以上の借金があると答えた人もいた。離農を検討している酪農家が6割近くに上るのもこうした状況があるからだ。実際、同会議の指定団体が生乳を受託した酪農家の戸数は今年1月時点で、全国で前年比6.8%減、都府県では同比8.4%減っている。
 同会議の担当者は「酪農家の数はずっと減る傾向にあるが、例年は4%程度。昨年夏ごろから離農する酪農家が急激に増えている」と話す。
 経営不振の大きな理由は、ウクライナ危機や円安による影響で、トウモロコシを主原料とする配合飼料が値上がりしたことがある。
 農水省の「飼料月報」によると、今年1月の配合飼料用トウモロコシの工場渡し価格は1トンあたり9万4600円。前年同月の7万9700円から18.7%値上がりしている。2021年1月は6万8500円で、2年前と比べると、4割近く高騰したことになる。
 円安で機械を動かすための燃料費も上がっている。さらにコロナ禍で、学校給食や外食などの需要が減り、牛乳は供給過剰な状態が続いている。乳業会社が買い取る飲用乳価は昨年11月、約3年半ぶりに1キロあたり10円引き上げられたが、価格が上昇すると消費が低迷する可能性もある。
 こうした状況を受け、政府も28日、飼料価格高騰の対策として、予備費から965億円の支出を決めた。生産コストの上昇に対する補填ほてん金を増額し、4月以降は飼料高騰が続いても負担を抑える特例措置を導入する。
 しかし、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「1960年代以降畜産を振興したが、草地開発よりも海外産トウモロコシが安上がりだったため、酪農は輸入飼料依存型になった。飼料価格が上がったから政府が補填して価格を下げるといった対症療法ではなく、根本的な対策を考えなくてはいけない」と指摘する。
 牛は牧草よりも穀物飼料を与えたほうが早く成長し、乳量も増える。ただ、山下氏は「本来、牛は草を食べる動物。放牧して草を飼料として肥育すれば、飼料高騰の影響を受けないし、ふん尿も肥料となる。輸入飼料に依存していては、価格変動に影響を受けるのは当然で、食料安全保障上も問題がある」と強調する。
食料自給率(カロリーベース)の推移

食料自給率(カロリーベース)の推移

 岸田文雄首相は昨年、戦後の安全保障政策を大きく転換する安全保障に関わる3文書の改定を行い、防衛費の増額を打ち出した。その一方で、日本の食料自給率はカロリーベースで38%にとどまる。これでは、自衛隊の装備が充実しても、有事の際に食料関連の輸出を止める「兵糧攻め」に遭えば、国民は簡単に飢えてしまうのではないか。
 「飼料を海外に依存している限り、同じような事態はまた起きる。牛乳一つとっても危機的な状況になっている。自分の命をつなぐためにも、国内の農業を大切にすることを認識しなくてはいけない」。東京大の鈴木宣弘教授(農業経済学)はこう警鐘を鳴らす。
 鈴木氏も急に食料自給率を上げるのは簡単ではないとの認識だが、消費者が農家を支えることはできると訴える。「酪農家にとっては危機だが、大きな転機とも言える。消費者が国内で有機農法、循環型農法などを行う農家とつながり、ネットワークをつくる必要性は高まっている」

◆デスクメモ

 このまま酪農家が廃業していったら、国内産の牛乳や乳製品は供給不足になるかもしれない。政府は「それは輸入でまかなえばいい」と思っているのか。でも、今回の飼料同様、そのとき十分に輸入できる保証はない。今でも危うい食の安全保障。ミサイルよりも先に考えるべきでは。(歩)

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