4・1木更津駐屯地フィールドワークの開催勝ち取る

4月1日に千葉県木更津市で行われた、動労千葉を支援する会・木更津等の呼びかけによる木更津駐屯地フィールドワークは、盛況となっての開催となりました。

この間の取り組みは、オスプレイ暫定配備問題を抱える木更津エリアにおける問題提起の他、オスプレイ実機の確認、さらには同機の問題を闘っている各地の連携を深める場ともなりました。

バスに乗った参加者は、地元の案内のかたから木更津駐屯地の成り立ち、とりわけ敗戦直後の米軍使用からの激しい反対運動の話に耳を傾けつつ木更津駐屯地に並んだ各機種を観察しました。

その後駐屯地に隣接する施設に移動し、参加者の自己紹介、各地の闘争報告に加え、地元議員の飛行ルートの解説もあり、大盛り上がりとなりました。横須賀・横田の仲間との交流は重要だと思いました。

木更津市では今、オスプレイ配備に伴う自治体への資金注入が進んでいます。これはかつての成田空港建設において、芝山町等にカネや雇用を注入した上での「基地との共存論」の強引な誘導が行われた、あの姿を思い出しました。

オスプレイ暫定配備期限までに、「オスプレイ断固追放!木更津を戦争拠点にさせない!」の気持ちで、活動を行って行こうと思います。

動労千葉を支援する会・木更津 Y

参院選ルポ>オスプレイ配備 秘密主義 木更津市民「判断材料を」:東京新聞 TOKYO Web

4・1木更津基地フイールドワークに参加して
基地の広さと「実戦」さながらの体制を実感

4月1日、「動労千葉を支援する会・木更津」の主催で木更津駐屯地のフイールドワークがおこなわれ、15名が参加した。

木更津駐屯地全体を見渡せる「中の島大橋」へ移動して、もと高校教員のHさんから木更津駐屯地のできた背景について説明を受けた。「1937年に木更津駐屯地が作られたが、大正時代の台風で軽滅した木更津港のヘドロで浚渫して作られた。 日米開戦に備えて山本五十六が先導して東洋一の飛行場にしたという。南京大虐殺の後方支援基地でもあった。1945年には木更津へ4度の爆撃を受けて民家250軒が被災したことが記録に残っている」などの説明を受けた。
参加者からは「近くに行くと騒音がものすごい」「生活しているとわからなかったけど、いつでも戦争できる状態になっていることがこわい」などの感想が上がった。
基地を一周した後で屋内での交流会を開催。かけつけた田中紀子市議は地図とブロックで作ったボードを用いて、飛行ルートと高度について説明してくれた。自分で資料を作って危険性をアピールしているものですごくわかりやすかった。

ちば合同労組 W

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