1 国鉄1047名解雇撤回! 9・19東京高裁に集まろう!

9月19日、国鉄1047名解雇撤回を求める裁判闘争の東京高裁第1回裁判が開催されます。
JRはこれまで、「名簿の作成や選別には関わっていないから責任はない」と主張し続けてきました。しかし、採用名簿からの排除が不当労働行為であったことを最高裁でも認めさせ、それがJR自身の指示によるものであったことを暴きだしました。すでに不当解雇の責任がJRにあること、JRの30年以上にわたる主張が大ウソだったことははっきりしています。
石破政権は、憲法審査会において、ナチスの全権委任法そのものである緊急事態条項の創設へ、一気に舵を切っています。こうした改憲攻撃を阻んできた大きな力こそ、国鉄分割・民営化と闘い、連合の完成を阻んできた国鉄闘争です。
戦争情勢だからこそ、この国鉄闘争を国家を挙げて全力で潰そうとしています。9・19は戦争情勢と国鉄闘争解体攻撃に対し、反撃を叩きつける闘いです。裁判に先立ち高裁包囲デモを行い、裁判後には報告集会を開催します。
みなさんの結集を呼びかけます。
◆国鉄1047名解雇撤回裁判闘争控訴審第1回
日時:9月19日(金)15時30分~
場所:東京高裁429号法廷
◆東京高裁包囲デモ
集合:13時30分 日比谷公園霞門
◆裁判後、報告集会を開催
場所:日比谷図書文化館 地下大ホール(東京都千代田区日比谷公園1?4)
2 8・24星野・大坂救援会 全国総会→9・14千葉救援会総会に結集を!
10月22日(水)星野国賠控訴審が始まります。大坂裁判の控訴審も、公判開始が秋以降になると見込まれています。
7月に行われた参議院選挙では労働者民衆の怒りが爆発し、政権政党が大敗北しました。排外主義が強まり戦争への動きが激しくなる中、階級的大流動が始まっています。現状変革を求める大衆の意識とかみ合った絶対反戦の闘いで救援運動の飛躍を勝ち取っていきましょう。
どれだけ法廷で無実が明らかになろうと、捏造した検察官調書だけで有罪認定する権力との攻防に勝利するために、救援会を拡大し、東京高裁を民衆の怒りで包囲していきましょう。
星野国賠控訴審では、星野さんに対する劣悪な獄中処遇を行使し続けた徳島刑務所を徹底的に追及する闘いを実現しましょう。
8・24星野・大坂全国総会に結集し、続く千葉の救援会 17回総会にお集まりください。
◎星野・大坂救援会 全国総会
8月24日(日)13時~ ティアラこうとう 中会議室 地下鉄半蔵門線「住吉」徒歩4分
◎千葉・星野大坂救援会 第17回総会 9月14日(日) 14時~ DC会館
3 街宣・署名行動等。メッセージボードを持ってスタンディングしましょう!
9/ 6(土) 11:00 大行進街宣(署名集め)
9/13(土) 11:00 東海第2原発再稼働反対統一街宣
4 《昭和天皇裕仁の戦争責任:上》
天皇戦争責任問題に関する記事を、上、中、下の3回に分けて掲載していきます。今号はそのうちの“上”を掲載します。次回“中”は10月号になります。
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1931年9月18日の満州事変勃発から1945年9月2日の降伏文書調印による日本の降伏までの十五年戦争(満州事変~アジア太平洋戦争)は「犯罪的侵略戦争」です。しかし、「天皇裕仁には戦争責任がない」という言説もあります。天皇裕仁の戦争責任を、史料を元に問います。
東京裁判(極東国際軍事裁判)では天皇裕仁が大日本帝国憲法の規定によって、大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍の統帥権を有する国家元首、かつ大日本帝国陸海軍の最高指揮官(大元帥)、つまり日本軍の総司令官でした。記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました。天皇の言葉が作戦を左右した事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に直接影響を与えていたわけです。
「侵略戦争」を指導した国際法違反を天皇裕仁が犯したとする法的責任があったと指摘した場合、訴追対象になる可能性は十分にありました。しかし、天皇は訴追されませんでした。マッカーサ―が、天皇を処刑すれば日本全体が暴動や混乱に包まれる恐れがある、天皇制を維持する方が日本の安定につながると判断し、占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。占領政策を円滑に行うためGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の措置により、敗戦後も皇室は維持されることになりました。天皇裕仁は1947年5月3日の日本国憲法施行及び1952年4月28日の日本国との平和条約発効による連合国軍占領終了・主権回復以降も、1989年1月7日に死去するまで、第124代天皇として在位し続けました。
日本国民に根付く天皇の伝統文化的な価値観と誇りを破壊することによって生じるであろう多大な悪影響と混乱を回避し、民主化達成後の日本国民自らがその価値観を象徴天皇という概念として受け入れる、そのための意識改革にとって適切な思考期間を与えた成功例であるとされている。
41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇裕仁は開戦を躊躇していました。しかし軍はその後、南方の資源地帯を日本が確保してしまえば英米には資源が流れなくなり、長期戦になればなるほど戦況は日本が有利になるというシナリオを用意していきます。裕仁は10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇裕仁は開戦を決断したのです。
昭和20年(1945年)2月14日に近衛文麿元首相(終戦後、戦犯指名により自殺)は敗戦を確信して天皇に上奏文を出し、敗北による早期終結を決断するように求めたが、天皇裕仁は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作ってから」の方が良いと判断、これを拒否したといいます(一撃講和論)。このことは、天皇裕仁が能動的判断で戦争の継続を選択していることの証左です。このときの判断次第ではそれ以降の敵味方の損害はなかった可能性をも示します。この時、天皇裕仁がこれを受け入れていれば少なくとも沖縄戦や広島・長崎の被爆はなかったはずです。
実態を踏まえれば、天皇裕仁に戦争責任があったと考えるべきです。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家最高指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません。
「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其の責二任ズ」とされ、責任を負うのは天皇ではなく各国務大臣だった、――大日本帝国憲法は天皇を「無答責」、つまり責任を問われない存在と規定していたのだという解釈をもとに「天皇に戦争責任はない」とする見解も、他方にはあります。しかし、大日本帝国憲法が天皇を『権限が一切なく責任も負わない君主』と想定していたとする憲法解釈には無理があります。戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避しました。その人たちが戦後日本の権力を握っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした。大事なのは、戦争責任をきちんと追及することです。
“中”に続く
《参考資料》
『天皇と戦争責任』児島 襄著 文藝春秋
『天皇の戦争責任』井上 清著 岩波書店
『日本の戦争Ⅲ 天皇と戦争責任』山田 朗著 新日本出版社
5 映画「はだしのゲン」上映会報告(感想)

7月26日、映画「はだしのゲン」の上映会を行いました。映画は1945年8月6日の広島への原爆投下の2カ月前の6月から始まり、空襲警報でゲンの家族が防空壕に避難することがたびたび描かれます。ゲンの父親は戦争絶対反対を貫く人で、竹やり訓練も不真面目にやることで、非国民と言われて警察に連行され、拷問を受けても戦争絶対反対の立場を貫きます。そんな父親を持つことで、子どもたちは町内の子どもたちから嫌がらせをうけます。ゲンの兄弟は4人。ゲンの兄である長男は非国民と言われることに反発して、特攻隊に志願し、両親から「戦争で死ぬために育てたんじゃない」と言われます。ゲンの姉は学校で物を盗んだとデッチ上げられ、裸にされて身体検査を受けます。これに激怒したゲンの父が学校に乗り込んで先生を徹底弾劾します。主人公のゲンと弟のシンジは仲が良く、戦時中で食べ物がなく、いつも腹をすかしていますが明るく元気に生きています。私としては、ゲンとシンジが自分の二人の息子とだぶって見えて、涙なしには見れませんでした。ゲンが近くに住む朝鮮人に対して差別的な事を言うと、父親は激怒してゲンを厳しく叱ります。戦時下の差別・排外主義も描かれており、映画の大半は戦時下の日本の現実であり、今こそ見た方が良いと思います。
映画はクライマックスで、広島の原爆投下となります。ゲンの家族がどうなるかは映画をごらんになってください。ゲンの母親は原爆投下の中で、ゲンの助けを受けながら子ども出産します。ゲンは、はだしで歩きまわって、食糧やきれいな布を集めて、母親の出産を助けます。そして、8月15日の終戦(敗戦)と天皇の玉音放送が流れます。ゲンの母は、「(天皇が)戦争を終わらせる力をもっているなら、なぜ戦争を始めるのを止めなかったのか(戦争を始めたのか)」と焼野原になった広島の中で叫びます。
映画は第2部、第3部と続きます。上映後、続編を期待する声もありました。今回、大行進千葉は8・6広島に向けた企画として行ったのですが、続編はもとより、年間通して繰り返し上映会を行うことが重要だと思いました。上映を通して、ゲンの父のように戦争絶対反対を貫き、米日による中国侵略戦争を始まる前に止めましょう。
(改憲・戦争阻止!大行進千葉 事務局長)
6 大間原発絶対反対!核燃料サイクルやめろ!

反核ロックフェス-OH!MAGROCK~第17回大間原発反対現地集会に参加
7月27日、青森県下北半島の大間町で、反核ロックフェス「OH!MAGROCK17」(26日~)と「第17回大間原発反対現地集会」が開催されました。動労千葉からも代表が参加して原発反対、戦争反対の闘いをともに闘いぬきました。
参加者からは、下北半島が軍事基地や原発を含む核関連施設に囲まれた地域だと痛感したと語られました。
バスツアー初日には、六カ所村の核燃料サイクル施設のPR館を訪れました。施設は度重なる延期で完成の見通しが立たず、サイクルそのものが破綻していることが強く訴えられました。東通原発や中間貯蔵施設も訪れ、核施設の危険性を再認識しました。
2日目には故・熊谷あさ子さんの意志を継ぐ「あさこはうす」や反対地主の土地を訪れ、集会やロックフェスに参加。反戦・反核の行動の重要性が強調され、「子や孫に原発を残したくない」など切実な訴えが行われました。デモ行進を経て2日間の闘争は締めくくられました。(Kj)
詳しい報告は「 https://doro-chiba.org/nikkan/大間原発絶対反対!核燃料サイクルやめろ!-反核/ 」に掲載されています。

7 今月の署名 15筆 (7/1~7/31)
大坂さん署名73筆(+3)。解雇撤回5筆(+2)。大軍拡・改憲4筆(+3)。生業訴訟 7筆(+7)。
① 街頭署名(街宣)
日時 場所 人数 東海 大坂 計 ビラ
7/13 千葉(大行進) 4 100枚
7/27 津田沼(星野・大坂) 2 1 120
計 6 1 120
② 会員から
大坂さん解放署名 1人から2筆、解雇撤回 1人から2筆、大軍拡・改憲 1人から3筆、生業訴訟 1人から7筆、計14筆 ありがとうございました。
インフォメーション
8/16(土)10:00 大行進千葉全体会議
8/16(土)13:00 労働学校 「資本主義とはどういう社会か」 鎌倉孝夫さん DC会館
8/17(日)13:00 夏季職場交流会
8/22(金)18:00 関生を支援する千葉の会
8/23(土)13:30 東海第2原発再稼働反対いばらき大集会 東海村・東海文化センター
8/25(月)12:00 狭山再審 東京高裁包囲糾弾デモ 12時 日比谷公園霞門集合→東京高裁要請行動
8/28(木)13:00 避難プロジェクト
8/30(土)~31(日)婦民全国協議会総会 相模原市・国民生活センター
9/10(水)14:00 汚染水流すな! 千葉県実行委員会
9/15(月)14:00 大行進ニュース9月号発送・編集会議
9/20(土)10:00 大行進千葉全体会議